ジム・ロジャーズは1973年にジョージ・ソロスと一緒に、どんな相場でも利益を追求し続けるヘッジファンド「クォンタム・ファンド」を設立したことで有名な投資家です。
ジム・ロジャースはファンド時代、どの商品に投資するかなどの方向性を決めることが中心で現地調査を主な生業としていました。
その経験を生かして一線を退いた後は、成長の見込まれる地を自分の目で見るために世界を旅しました。この旅の移動ではオートバイと車を使用しており、それらの走行距離はギネスに登録されています。
家族とともにシンガポールに移住した今でもジム・ロジャーズの発言は投資の世界において大きな影響を与えています。
ジム・ロジャーズの生い立ち
1942年、アメリカのアラバマ州に生まれました。ジム・ロジャーズが初めて投資に出会ったのは、イェール大学在学中にウォール街でアルバイトを行った時でした。そこから投資に興味を持ち、投資家としての経験を積んだと言われています。
イェール大学を卒業後はオックスフォード大学に留学し、政治や経済を学ぶ傍ら、株式投資を行っていました。そして、留学を終えたジム・ロジャーズは再びウォール街にて働き始めます。
しばらくは見習いアナリストとして働いていましたが、徐々に投資家としての頭角を現し、1969年には当時同じ会社に勤めていたジョージ・ソロスに声を掛けられ、「ダブル・イーグル・ファンド」を立ち上げます。4年後の1973年には「クォンタム・ファンド」を設立しました。
ジムが在籍中の「クォンタム・ファンド」は10年間で資本金は40倍以上に上昇していきました。しかし、ファンドが大きくなりすぎたことで、ジョージ・ソロスと意見が対立し、1979年にはパートナーを解消することとなりました。
冒険投資家としての顔
車で旅をしていた頃のジム・ロジャーズ
「クォンタム・ファンド」を離れるとともに、37際の若さで仕事を引退することを決意したジム・ロジャーズは、世界中を旅することにしました。
1980年代には中国を、1990年から約2年間は世界6大陸をオートバイで巡りました。その際の走行距離は65,000マイル以上でギネスブックに登録されています。さらに、1999年から2002年には車で116カ国を回っており、こちらもギネスブックに記録されています。
ジムは旅の最中、現地を徹底的に調査しコネクションを築いていきました。自らおもむき、入念な下調べの上で投資を行う姿勢は数々のファンドが参考にし、現地に直接調査員を派遣するスタイルの礎になりました。
旅の終着地はアメリカの自宅としていたため、一旦はアメリカに戻りましたが、今後の世界はアジアが牽引していくと予想し、2007年からは自身の拠点をシンガポールへ移しています。
自分の愛娘には英語と中国語を学ばせ、今では、中国を始めとするアジア投資を行っています。
また、ジム・ロジャーズは日本の未来を危惧しており、少子化対策と外国人の受け入れを増やすことを目的とした移民対策に早急に取り組むべきであるとしています。いずれにしてもジム・ロジャーズの発言は、79歳になった今でも投資の世界において多大な影響を与えています。