ドットコムバブル

ドットコムバブル

ドットコム・バブルとは、1995年から2000年にかけて、ドットコム(インターネット上の企業)への投機によって引き起こされた株式市場のバブルのことです。

ドットコム・バブルのきっかけとしては、1989年のWorld Wide Web(www.と書かれるURLの仕組み)の登場と、それに続く1990年代のインターネット関連のベンチャー企業の乱立が始まりと言われています。

人々の間でもインターネットでの買い物、コミュニケーション、ニュースの発信など、インターネットが広く認知されるようになってきたことで、この勢いは今後も続くと読んだ投機家たちが、こぞって新興企業で「.com」ドメインを持つ企業への投資をおこなったのです。

ドットコム・バブルの始まりから崩壊まで

ドットコム・バブルは4~5年の長期的な利益を投機家にもたらしました。

1995年1月から2000年3月までに、IT関連企業が多く登録されているNASDAQ指数は、「751.49」から「5,132.52」まで、実に582%も上昇しました。

この頃はマイクロソフトがWindows95を発表して一般家庭にもパソコンが普及、日本でも光通信、ドコモ、ソフトバンクなどのIT関連企業の株価が一気に伸びました。

しかしこの時代のIT関連企業の株価は、インターネット新時代への興奮と期待による投機的なもので、同業他社よりもはるかに速く上昇しすぎていました。

その結果、インターネット企業の本質的な価値に比べて、市場全体が過大評価されることになりました。

当然、実力にそぐわない企業価値はいつか是正がはいります。

 

ドットコムバブルの崩壊の始まり

ドッココムバブルは、2000年に入ると過剰なブームに対する警戒感がててきます。

ITバブルの崩壊の予兆は、パソコンの普及が進みすぎて飽和状態になり、株価が異常に高いのにも関わらず恒常的に赤字を垂れ流していたIT関連企業に対する不信感でした。

高すぎる株価に疑問をもった投機家たちの、ドットコム株式の大量売却は市場のパニックを引き起こし、2002年までの株価下落によって、投資家の損失は約5兆ドルにのぼると言われています。

IT関連企業が多く登録されているNASDAQ指数は、2000年3月から2002年10月にかけてなんと75%も下落し、バブル発生以来の上昇分のほとんどを帳消しにしました。

 

ドットコム時代の背景

この時代のITセクターは、かなりの高成長産業であったことと、多くの資金が必要とされていたこともあり、IT関連株を買う熱狂は圧倒的なものでした。

資金は主にベンチャーキャピタル企業から提供され、その後、金融機関や個人投資家も続きました。

IT関連企業に務める社員は高級車を乗り回し、新卒でも一般的な職業の2倍以上の給与が得られたりと、株価だけでなくIT企業の実体もバブルに突入していました。

IT株を購入する多くの投資家は、企業の収益力や事業計画、業界分析、市場動向分析、PERなどの基本的な企業分析は行わず、新興企業が推進するウェブサイトへのアクセス数の増加など、誤った指標に注目していました。

ほとんどの新興企業は、キャッシュフローを生み出すような実行可能なビジネスモデルを採用していなかったために過大評価され、かつてのオランダ球根バブルのような、投機的な要素が強かったのです。

その結果、数年間にわたって急速に成長したバブルが発生しました。

その後のドットコムバブルの崩壊では、テクノロジー分野では必然的に大量の一時解雇が行われ、転職しようにもIT関連企業が次々と倒産したために、現代では花形であるはずの多くのIT技術者が行き場を失ったと言われています。

 

ドットコム・バブルの原因

1. ドットコム企業の過大評価

ドットコム時代に株式公開をしたハイテク企業やインターネット企業の多くは、需要の増加と評価モデルの欠如により、非常に過大評価されていました。技術系企業の評価には高い倍率が用いられ、結果的に楽観的すぎる非現実的な評価となっていました。

アナリストは、これらの企業のファンダメンタル分析を重視しておらず、付加価値のないウェブサイトのトラフィック指標に焦点を当てていたため、収益生成能力が見落とされていました。

 

2. 豊富なベンチャーキャピタル

当時新しく設立されたベンチャー企業は非常に多くあったため、投資家は資金の投入先に困ることはありませんでした。

あまりにも多くの投資先がある。これもドットコム・バブルの大きな原因の一つでした。

また、超低金利で安価な資金が得られたことで、資金調達が容易になりました。さらに、インターネット企業への資金調達のハードルが低くなったことで、大量の投資が行われ、バブルが拡大しました。

 

3. メディアの乱立

メディア各社は、IT関連企業の将来の収益に対する過度の期待をウリにし、リスクの高いハイテク株への投資を促しました。

また、「ウォール・ストリート・ジャーナル」「フォーブス」「ブルームバーグ」などの経済誌や、多くの投資分析誌が火に油を注ぐような形で需要を喚起しました。

当時の状況については、FRB議長であったアラン・グリーンスパンの「根拠なき熱狂」という言葉で端的に表されています。