ウォール街大暴落(1929)

Black Tuesday

ウォール街大暴落は、1929年10月29日に起きた株式市場の大暴落のことです。

アメリカの歴史上、最も悲惨な市場の暴落と言われています。

この暴落は1日の出来事ではないため、暴落のキッカケである「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」と4段階に分けて語られますが、壊滅的だったのはロンドン証券取引所の大暴落ブラックマンデーをきっかけに、ニューヨーク証券取引所のパニック的な売りが行われて、翌日ブラックチューズデーに世界の主要な市場指数が大幅に下落した2日間です。

ウォール街大暴落は、アメリカをはじめとするヨーロッパ各国の経済を襲った世界大恐慌の起点となりました。

 

1920年代のアメリカ経済

1920年代は、世界中で経済的・社会的にダイナミックな成長を遂げた時代でした。

世界は第一次世界大戦の壊滅的な影響から立ち直りつつあり、国民は消費財への支出を増やし、経済成長を肌で感じていました。

第一次世界大戦の被害が欧州主要国に比べて格段に少なかった米国は、世界最大の経済大国にのし上がることに成功しました。また、自動車、映画、ラジオなどの新しい産業や、大量生産ができる工場が各地に建てられ、個人消費が活発になり景気が拡大していきました。

この時代は株式市場が常に成長していたこともあり、景気と株式市場の拡大は永遠に続くという強い世論がありました。

このような景気の高まりの中、株式市場の成長を後押ししたのは一部の投機でした。株式の売買に必要な資金を調達するために行われた莫大な借金が、投機的な活動をさらに拡大させて大きなバブルを引き起こしたのです。

そして1920年代末になると、経済成長が鈍化しました。これ以上の株式市場の拡大を支えるものはなく、暴落が起こるのは時間の問題でした。

暴落の始まり「暗黒の木曜日」

1929年9月、イギリスの金融業者クラレンス・ハトリーが詐欺容疑で逮捕されました。この事件はロンドン証券取引所の暴落を引き起こし、アメリカ市場もネガティブなニュースと捕らえて市場はその後しばらくリスクオフとなりました。

そして1929年10月24日(木)、ニューヨーク証券取引所が開く前から、投資家はパニックに陥っていました。

前日のダウ平均株価は4.6%も下落しており、ワシントン・ポスト紙の見出しは、「巨大な売りの波が株の崩壊を招き、パニック寸前」と報じていました。

木曜日に305.85で始まった市場は、日中の取引ですぐに11%下落しました。

株式市場は、1929年9月3日に記録した終値381.2から、すでに20%近く下落していましたが、さらに悪いことに出来高は通常の3倍の1,290万株に達していました。

当時の三大銀行であるモルガン銀行、チェース・ナショナル銀行、ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行は市場の信頼を回復するために株を買い支え、ダウは少し回復し、2%安の299.47で終了しました。そのかいあってか金曜日には、ダウは301.22.3と高値で引けました。

しかし、翌週のブラックマンデーには260.64まで下落し、ブラックチューズデーにもパニック売りは続きました。そして火曜日の終わりには、ダウは230.07まで下落したのです。

 

ウォール街大暴落の結末

この暴落は米国経済だけでなく、世界の経済にも壊滅的な影響を与えました。

この暴落は経済成長と繁栄の時代を終わらせ、世界大恐慌へとつながりました。アメリカやヨーロッパでは、大量の倒産や失業、生産量や通貨供給量の劇的な減少など、マクロ経済の破滅的な出来事が連鎖的に起こりました。

米国の株式市場が「ウォール街大暴落」の影響から完全に回復したのは1950年代に入ってからでした。

近年、「ブラック・サーズデー」は、米国の感謝祭の祝日を表す言葉としてよく使われているため、ポジティブな意味合いを持つようになりました。

また、感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日は正式の休暇日ではないですが休暇になることが多く、感謝祭後の売れ残り一層セールが行われる金曜日も、一斉に安売りが行われるブラックフライデーとして近年はポジティブな意味になってきました。